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大学、無事卒業

2月で英語の点数はクリア出来ましたが、次の難関は卒業です。
後期試験は卒論入れて34単位だったかな。
普通は3年終了時点で専門科目は全部終わって4年では授業なんか出ないで卒論に没頭なはずです。

目一杯授業がありました。。。
しかも、難しいのばっかり。。。
更に必須教科もあって、これは落とすと単位数が足りても卒業できない。。。

これで卒業が出来ないと既に出した願書は全部パーになります。
就職先もない。。。
綱渡りもいい所です。。。

友人などは4年生の前期で150あったりして余裕しゃくしゃくで卒業旅行などに行きだす頃。
ランケンは一生懸命に卒業のための勉強をしてましたとさ。。。

卒業式は3月下旬。
その前に後期の成績が送られてきます。
必要な単位数は136。

返ってきたのは単位数は137(爆)
いやー、通ったぁ(笑)
超ギリギリー。
マジであっぶねぇー。

見事なまでにCがいっぱいあります。
大学4年間でここまでCを並べた事もないぐらいCがいっぱい。
ウルトラC完成です!

無事、卒業式にも出れる事になり、卒業式はさすがに心配した友人が卒業できたんだぁ、おめでとうって皆で言ってくれました。(苦笑い)
で、留学の方はどうなったのぉって話になります。

その頃、1通だけ合格通知が実は来てました。
英語学校です。。。
ま、行くところはある訳で、曲がりなりにも進路と言えなくはない。。。。

2月から3月にかけて出すアメリカの大学院の結果は、だいたい5月から7月に戻ってきて10月ぐらいから正式に入学となります。
そんな訳で大学は無事に卒業しました。

しかし、あいかわらずどこに行くかは分かりません。。。
卒業式はちょっと寂しかったのを覚えています(笑)

世界の大学ランキング

ランケンは私立の学校は授業料が高いのと、あんまり勉強を積極的にしたいと言う訳ではなかったため(。。。)、西海岸の公立の大学を目指してました。
一応、飛行機の会社に入りたかったので、目指すは世界最大の航空機メーカーのボーイングです。
そうなるとボーイングの地元シアトルにある大学はUniversity of Washingtonでした。

University of Washingtonは学生数5万人弱の西海岸トップクラスの名門校とされています。
UCLAやUCバークレー、University of Michiganなど公立大学で形成されるパブリックアイビーの1つとなっており、医学部などは世界トップクラスです。
また、ニューズウィーク誌におけるWorld University Rankingでは世界25位となっています。
(ちなみに日本トップクラスは東京大学30位、京都大学52位、東工大108位などとなっています)

World University Ranking

2年前から漠然と行きたいなぁと思っていた大学は射程圏内。
でも600点まで出てくると欲が出るってもんです。

願書を出した学校は以下のような感じ。

University of Washington
UCLA(University of California at Los Angels)
University of Michigan
Ohio State University
University of Wisconsin at Madison
University of Minnesota
University of Florida
State University of NY at Buffalo
Georgia Institute of Technology
California State University
University of Illinois at Urbana Chanpaign

その他にも10校ぐらい出しました。
一校あたり20ドルとか30ドルぐらいでしたから、親に話をしたら30校ぐらい出せって言われました(笑)
そうは言っても、ある程度は学科に制限を付けてエッセー書いちゃったりしてますので、とりあえず興味のある学科がある学校のみ。

それで20校ぐらいだしたかな。
全部で5万円ぐらい受験料がかかった気がします。
安いもんです。

日本人はこの点恵まれてますよね。
30ドルが安いって思えますから。
世界中から学生が集まるアメリカの大学には30ドルは決して安くない国の学生もいます。
こういう点でもアメリカは開かれてるんだと感じました。

滑り止めも含めて出しており、ある意味で手当たり次第です。
どっか潜り込まないとね。

合格通知

日本の大学を卒業して一ヶ月ぐらいたった4月の終わりぐらいから大学の合否結果が届くようになりました。
Industrial Engineeringと言う工学の学科に絞って出してたんですが、一度社会で仕事をしてから来てくださいみたいな断られ方をされた大学院もありました。
一番早く合格通知が来たのはState University of NY at Buffaloでした。

そしてそして、第一志望のUniversity of Washingtonも合格通知が来ました!

来ましたよぉ、ユーダブ(University of WashintonはUWって略され、ユーダブって発音されます)。
いやぁ、ウルトラCがハマッタ。

大学の友人は既に社会に出て働き始めてたりしますが、一応は合格の連絡をしておめでとうって言ってもらえました。
その他にも全米のトップクラスの大学院にアプライしてるので、もう少し結果を待たないといけないんですが、ボーっとしてる訳にはいきません。

なんと言っても、TOEFLの英語リスニングは最高の偏差値50です。
しかも、英語の発音がキレイな人の発音でその程度。。。
現地の人は速くしゃべったり、スラングまじりでしゃべったりするのに、生活が出来る英語力ははっきり言ってゼロ。。。

アメリカにとりあえず行って英語学校でみっちりとやる事にして出国です。
無事に大学院に入学できる事にはなりました。
今度はアメリカの大学院の卒業なんてホントに出来るんだろうか?って言う心配で、ちっとも気は晴れません。

英語学校選び

英語は世界のビジネスの公用語で、世界でもっとも外人に寛容なのはなんのかんの言ってもアメリカです。
そのため、英語を勉強したい多くの人がアメリカに来ており、語学学校もモノスゴイたくさんあります。

ランケンは大学院は西海岸に行きたいと思ってましたので、英語学校ぐらいは東の方に行きたいなぁと思ってました。
通常、アメリカの学校は8月から10月の間にスタートします。
日本の大学の卒業は3月でしたから、約半年間あります。

この間にやる事はもちろんリスニング向上!
ここまでの英語は全て机の上でやってきたものですから、こっから先は徹底的にリスニングとスピーキング。
英語も半年あればだいぶ変わるかも知れないという希望的観測の元にとりあえず一番長く勉強できそうな英語学校を探しました。

もう1つの条件としては大学に付属した英語学校である必要があります。
通常、アメリカで規模の大きな大学は英語学校を併設しています。
基本的に、大学の授業に付いて行くための英語の勉強をするクラスで、多くの留学生が英語を勉強しています。

上記の2つの条件を満たす大学としてランケンが選んだのが、State University of NY at Buffalo(SUNY BuffaloとかUniversity at Buffaloって呼ばれる事もあります)でした。
13週間だったかな。
約3ヶ月の英語学校でした。

本当はもっと長くしたかったんですっが、意外と9週間とかそんなのばっかりです。
これはアメリカの大学の夏休みと重なったりする事によるもので、日本の大学卒業の4月からすぐにうまく始まって授業直前までと言う訳にはなかなかいかないためです。
ランケンの行った英語学校は5月から8月まででしたので、日本を発ったのは5月のゴールデンウィーク位でした。

英語学校の授業と生活

State University of NY at Buffaloはナイアガラの滝の近くにある州立の大学です。
NYと言ってもNY州は広くてマンハッタンなんかからは車で5,6時間かかる位の遠さじゃないでしょうか。
アメリカの地方都市でして、NYと言う名前からは程遠い割と地味な学校です。。。

まずは住む所が問題ですが、アメリカの大学は割と学生寮があります。
食事も出してくれるし、寮に入るのが色々な意味で手っ取り早いです。
ランケンも寮に入りましたが、ルームメートはアルゼンチン人。

英語を学んでアルゼンチンで良い仕事を得るために車を売って留学してきたって言うぐらいで年齢も割とランケンに近い24歳。
ルームメートって学校側が適当に決めるんですが、ほんっとにテキトーで年齢と性別だけで決めてます。
イヤなら、ルームチェンジしてあげるよって感じ。

部屋の鍵を渡されて行ってみて初めてルームメートが分かる感じですね。
彼は英語学校唯一のアルゼンチン人で、明るくていい人でした。
やや、やさぐれてましたが、まぁアルゼンチンなんで決して豊かな国の出身ではないからしょうがない。。。

英語学校の授業は朝の8時半から昼の3時ぐらいまであった気がします。
朝食を寮で食べて、バスに乗って20分ぐらいで教室に着きました。

英語学校ではクラス分けのテストがあってランケンは7クラス中で上から二番目のクラスになりました。
英語学校の授業はリスニング、リーディング、グラマーなどなど。。。
TOEFLの科目と同じような感じなんですが、クラスメートは大部分が大学に入るために英語学校に来ています。

ランケンのように入学許可を既に得ているって人はどちらかと言うと少数派で、これからTOEFLを受験するって人がほとんどなんです。
英語学校側もそれに応じてTOEFLの勉強をするためのカリキュラムを作ってるわけですが、ランケンはそれはもういいって感じ。。。
グラマーのクラスとかはほとんど意味なし。。。

授業は出てたですが、正直英語を喋りたくって日本語はなるべく話さないようにしてました。
って言うのも、日本人が結構多くて、18才ぐらいで来ている留学生や二十歳ぐらいの交換留学で来ている人は日本人同士で仲良くして日本語で生活しちゃうんですよね。

当然ですが、彼らは若い。
大学卒業して人生賭けてるって程じゃないから、英語のお勉強に来てる訳です。
ランケンは、英語のお勉強なんて悠長な事を言ってられなくて、後数ヶ月もしたら大学院の授業が本格的に始まっちゃうので、それこそ必死。。。
合格通知をもらっても余裕がない状況でした。。。

その頃はクラスメートの韓国人なんかと仲良くしてたなぁ。
よく遊んでもらいました。

英語さえ話す機会があれば何でもいいので、英語学校のTOEFL対策みたいな授業はどうでもよくて、基本的には遊びが中心。
英語学校も勉強と言うより遊んでるようなもんでしたから、それはそれでスゴク楽しかったです。

住所不定無職

英語学校は韓国人の友達と遊んだりして楽しかったです。
しかし、13週間と言う短い期間。
シアトルのUniversity of Washingtonに行く事が決まってますので、いつまでも英語の勉強で遊んではおれません。

それはそれで非常に寂しいものでしたが、しょうがない。
楽しい時間をありがとうって友達に言って卒業です。
最後の日は、徹夜で朝までパーティーしてました。(もっとも、ほとんど週末は毎週徹夜でパーティーしてたんですけどね。。。)

英語学校の卒業は8月末でした。
一方で、University of Washingtonが始まるのは10月の頭。

大学院が始まるまで約一ヶ月強あります。
そのまま英語学校があるState University of NY at Buffaloの寮に住めれば良かったんですが、寮も夏休みで閉鎖されてしまいます。
寮を出ないといけないんですよね。

一ヶ月間、どーするよ???
日本に帰るのも飛行機代が往復でかかるし、そもそも英語の勉強も出来ないし。。。
英語学校も無く住むところも無いという事で、住所不定無職!

いやぁ、綱渡りでアメリカまでやってきましたが、ついに落ちる所まで落ちたかってなもんです。
アメリカでホームレスですよ(笑)。

こう言う時は外人の彼女でも作って、彼女の家に泊めてもらうってのが理想ですが、現実はモテナイ。。。(と言うより、相手にされない。。。)
しょうがないから、旅に出るしかない、と言う事で日本で大学にいた時に利用したアメリカ現地発着のキャンピングツアーを利用する事にしました。
一ヶ月間あるので、卒業旅行も行かなかったしフルに遊んでやろうと言う事にしちゃった。

調べてみたところ、アラスカのキャンピングツアーが一ヶ月間ありました。
住所不定無職でアラスカ行き、しかもキャンプと冷静に今考えると、修行か監獄に送られるか?位の勢いですが、まぁ楽しく行く事にしました。
アラスカ旅行は、イタリア人やオーストラリア人にドイツ人にイギリス人と毎度多くの人と一緒に楽しくすごしましたが、内容を細かく書いてるとシャレにならない位長いのでとりあえずハショリマス。

結論から言うと割と修行だった感じはしますね。
だって、9月の半ばのアラスカなんて零下ですからね。
鼻水が凍るぐらいの勢いで、オーロラが見えちゃう位寒い。

そこで死ぬほど遊んでキャンプですから、修行の域に入りつつありましたよ。
アラスカから戻る頃には本当に体を壊してました。。。
インフルエンザにやられて、もうヘロヘロ。。。

しかし、大学院の授業はもうすぐ始まってしまう。。。
アラスカ旅行が終わっても住所不定無職なので、とりあえずシアトルに着いてから住む所を探すと言う事になる訳です。
インフルエンザでボロボロだったんですが、その時はまだ活動できてたので何とかなってました。

学校が始まるまで2週間位早い時期だったんですが、無事University of Washingtonの大学の寮を確保しまして、とりあえずなんとか大学院に向けてスタートを切れる状況になりました。
学校の寮ってベッドと机しかないんですよね。
枕とかシーツとかも自分で買い揃えないといけないんですが、アラスカで使ってた寝袋をベッドの上に敷いて、しばらく寝込みました。

もっとも、2週間寝てるだけって訳にも行かず、ご飯も食べに行かないといけないしで、散歩なんかもしてました。
University of Washingtonは全米でも有数の美しい大学とされていて、初めてキャンパスを散歩した時はなんかガッツポーズをする位嬉しかったです。

インフルエンザで鼻水を垂らしながら散歩してガッツポーズしてた訳ですから、校内で歩いてる人からは相当奇異に見られた事でしょう。
2年以上前に考えてやりたかった事をここまで持ってきたって言う達成感はあったなぁ。
もちろん、今後大丈夫かなぁと不安だったのも言うまでもありません。。。

初めての大学院の授業

大学院に入った最初の時は大変な思いをしました。。。
当時のランケンはTOEFLだけは高かったんですが、それはグラマーとリーディングでたたき出したみたいな無理やり感満点でした。
リスニングが偏差値50ですからね。。。

そんなんで、大学院の授業なんか聞こえる訳がない。
講義時間が90分とかあるんですが、90分間一回も聞き取れないんです。
最後に今週の宿題なんて出されるんですが、宿題の範囲すら分からない。。。

これには参りました。。。
絶対に卒業出来ないと思った。
やっぱりリスニング無しでほとんど喋れないのに大学院に入っちゃダメだぁなんて改めて再確認。
スゴイ焦りましたね。。。

アメリカの大学院では成績の平均が3.0以上を求められます。
日本で言うとB以上。

授業も聞こえないのに、どうやってそんないい点数を取るよ???
一学期目にして負け決定か???

I am gonna get screwed up...

終わってる。。。